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命、ありますか?

全くもって理解不能だと思うのですが、青年期にグラップラー刃牙というコミックに傾倒した結果が今になって現れました。

こんばんは、黒田 @crypingraphy です。

主人公が思い描いた事を実現するという能力を身につけたというストーリーがあるのですが、自分もいま同じような状況下にあります。その能力とは、

「想像したらその気分になれる。」

劇中では、殴られたことを想像した主人公が実際に鼻血を出してダメージを負うという全く理不尽極まりないプラシーボ効果の極地といったような内容なのですが。

それに比べたら自分の場合は、想像したらその気分になれるだけなので本家には全く及びません。

しかしその想像してしまったもののたちが悪かった。

「絶対にオレは余命宣告される。」

つまり「オレは死ぬんだ」と思い込んでしまいました。

実は年末から、体調が著しく悪かったのです。

・熱もないのにひどい関節痛。
・得体の知れない背中の痛み。
・早朝の頭痛と気だるさ。
・何をやるにしてもやる気が起きない。
・立っているのがつらくて、歩いている方が楽。
・毎日でる鼻血(冗談抜きで毎日。)
・帯状疱疹

基本的に身体のサインには鈍い方なのですが、これはさすがに何かが起きていると察するのに時間はかかりませんでした。いや、かかりすぎたというべきなのかここは。まあそれはどうでもよいのですが、病院に行くべきだと思ったのは言うまでもありません。

しかし世間は年末年始ですから病院も空いていません。仕方なく元旦に人間ドックを予約しました。
人間ドックを心待ちにしながら、何も出来ないもどかしい悠久の時をGoogleで延々と自分の症状を調べていくという破滅的行為で消化していました。

結論、癌か白血病か糖尿病だろう。という謎の自信を会得するに至ります。

そう思うだけの理由が自分にはあったのです。

まず、高校時代、仲の良かった4人で、たまたま同じ大学へ入学しました。
このうちの二名が既に亡くなっています。28歳と26歳でした。
一名は、大学入学時の健康診断で癌が見つかり、闘病生活10年の果てに亡くなりました。
もう一名は、闘病している彼よりも早く、卒業後、就職してから原因不明の理由(おそらく心臓発作)で亡くなりました。職場で遺体として発見されたそうです。
今でもいつ何時でも僕は、彼らを思い出すことで、生きる力を獲得できます。

しかし、これを残った僕と親友一名は、「死亡フラグ」と呼んでいます。
「なあに、すぐ追いつくさ」的な生ぬるいネタではありません。リアルの死です。あの大学へ、あの高校から入学してからの死亡率50%という脅威の数値を叩き出しているこの紛れもない「死亡フラグ」には充分な説得力がありました。

これが第一の理由。

もう一つは、単に父方の祖父が糖尿病、母方の祖父が癌で亡くなっています。症状的に近かったこの二つがGoogle先生による尊い教えであった点も思い込みに拍車をかけています。さらに、夏頃に友人たちと食事をしながらふと、肉体改造をしようと思い立ち一ヶ月5キロペースで二ヶ月ほど体重増加を試みたことがありました。結果的に10キロ増量したところで謎の体調不良によりダウンして以来、増量分をキープするに留めているのですが、数人から「糖尿病になるよ」と脅されていた点も効いています。

これが第二の理由。

そして、ここで余命宣告されるのは非常に黒田らしいだろう。という謎の自信です。
自分は恵まれすぎているのです。
基本的に運は悪い(いずれ話します)のですが、分不相応な評価をいただいていることや、素晴らしい友人たちとの出会いに対して、いつか悪魔が取り返しにくるのだろうと常日頃思っています。まさかそれが死だとは思いませんでしたが。

これが第三の理由。

さらにさらにさらに、自分はストレスがあっても気づきにくい体質というか性格というか、とにかく常に我武者羅に何かをやっているので精神的な自己ケアには耳を傾けず根性論で解決しようという節があります。身体のことも顧みないで生活していますし。

過去に、それがたたってストレスに気づかず唾石という病気になった事がありました。
これはストレスによって石が出来るのですが、顎下腺という顎の下に石ができまして、普通は口の中から切り出して取れる程度のものだそうです。
自分の場合は、ストレスという栄養を過剰摂取させてしまったのか何故か3cm程度まで大きく育ててしまいまして、22歳の誕生日、突然首が大きく腫れてお盆時期に救急病院で、医者に癌と勘違いされてこのままだと死ぬので今すぐ入院と診断された経緯があります。(結局石だということがわかって実は今生きているんですが。)

その際には、石が大きすぎて首を切り開き切除しました。退屈な入院生活だったことを記憶しています。

また、Google先生に症状を問い合わせていると、帯状疱疹もストレスによって発生したりするらしいので、今回こそは癌なのかと。

長くなりました。

結局どういうことかというと、これらの経験や記憶、思い込みが心を支配しまして、死ぬのはほぼ確実だろうという精神になってしまったのです。

二週間ほどですが、その気持ち。生きた心地はしませんでした。
余命宣告された場合のことを考えて、何をすべきかということも計画していたんですよね。詳しくは言いませんが、資産の管理や余生の過ごし方、仕事関係の整理など。余命が半年、一年、もしくは不明での闘病生活などのパターンにわけて整理していました。

しかしいずれにしても、誰にも気づかれないようにしようと振る舞っていたのでそれが辛かった。まあそのあたりはおいときましょう。

検査の結果です。

まず人間ドックの予約日が待ちきれず、総合病院で血液検査と診察をしてもらったところ、リンパに異常があるそうで抗生物質を処方されましたが、これは死には至らないそうです。
そして数日前、人間ドックに行ってきまして、MRI、胃カメラ、エコー、血液検査、全癌検査をうけたのですが、診察時点では腎臓に小さな石がいくつかある程度で、大きなものはみつかりませんでした。

血液検査と全癌検査の結果については、わかるまで一ヶ月かかるそうなのでまだ完全に疑いが晴れたわけではないですが、とりあえず糖尿病の線は消えました。

胃カメラやMRI、エコーに関する診察や医師の言うことを聞く限り、とりあえず即死はなさそうということで、確実に死ぬと思いこんでいた自分は困ってしまいました。

グラップラー刃牙ほどではないですが、完全に余命宣告される方向で心づもりをしていたので、逆に何をしていいのかわからないというか、不思議な気分でこの数日を過ごしています。

もちろん外にはそんな空気は出さないですし、夜な夜な一人で天井を眺めて現状を憂いたり、一部の最近知り合った友人に相談したりしていた程度なのですが、せっかくnoteをはじめたのでこの気持ちを共有してみようかと。

いまは命のありがたみを感じると共に、死生観について見つめ直す良いきっかけになりました。まだかなり気持ち的には引きずっていますが。人生は無限ではないという事を改めて実感したとも言えます。

20代前半の頃、実はブログやmixiで毎日日記を書いていました。それもかなりの長文だったんですよ、暇すぎ。

あの頃は時間を持て余して人生にも悩んで将来が全く見えない中で、未知の世界に飛び込んで実戦を重ねながら学ぶという地獄の体験ながら至極の経験でもあったわけですが、心情的には生きながら死んでいたといった感じで。いまそのときの感情に近いのが、このnoteをはじめたきっかけの一つです。

あ、と言っても全然元気ですよ。全く落ち込んでもいなければ普通に幸せを感じています。ただ冷静になんか不思議な気分なんですよね。そういうのってありませんか?この冷静さと感情をそのまんま表現する術を僕は知らないのですが、それを伝えたくて書いてみました。


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