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もののあはれを知ること

もののあはれって聞いたことありますか?

ちょっと大げさなことをつぶやいてしまいましたが、わりと真剣な話です。

自分がこの言葉を意識しはじめたのは2007年。小林秀雄という近代批評家にドハマリしていた時期です。小林秀雄は晩年11年もの歳月をかけて本居宣長を名に冠した文学作品を発表します。とてつもない年数にも思えますが、この事実に対して小林秀雄は、本居宣長が晩年34年もの歳月をかけて古事記を完成させたことと比べても11年では短すぎると語っています。

自分なんかには途方もなく思えるような御業ですが、小林秀雄が言うのですからそこには妙な説得力があります。

その宣長が、源氏物語の中にみられる「もののあはれ」こそが日本固有の情緒であり、文学の本質であると提唱していたことが、我々が知る「もののあはれ」という概念の礎になっています。

類に漏れず、私が人生のテーマとして掲げている「もののあはれ」も、宣長のいうもののあはれという概念を指しています。

では、「もののあはれ」とは何なのか。これは自分自身完全に理解できるかと問われると少し言葉に詰まってしまいそうになるので、ここはWikipediaを参照してみましょう。

もののあはれ(もののあわれ、物の哀れ)は、平安時代の王朝文学を知る上で重要な文学的・美的理念の一つ。 折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁である。 苦悩にみちた王朝女性の心から生まれた生活理想であり、美的理念であるとされている。 
https://ja.wikipedia.org › wiki › もののあはれ

「あは」というのは、何か物事を見たり聞いたりしたときに出る「あぁ...」という感嘆の表現を指します。それに接尾語である「れ」をつけて、「あはれ」となっているわけですね。

喜びも悲しみも含め、感動を言葉にする際に活用される表現でもあります。

ちなみに、張本勲お馴染み「天晴れ」という表現も、「あはれ」を語源としており、「あはれ」に対して喜びや称賛を込めて活用されるようになり、残った悲哀を表現するために「あはれ」が暖簾分けのような形で活用され現在に至るそうです。

話を「もののあはれ」に戻します。「もののあはれ」は、情趣や情緒を意識する言葉としての意味合いが先行されることが多いのは事実なのですが、宣長はこの概念を我々一般人の日常にまで及ぶ日本固有の情緒として説いています。さらに宣長は「もののあはれ」について、感嘆の表現として感じることにとどまらず、知ることに本質があるとして「もののあはれを知る」という言葉に集約しました。

本居宣長は、国学者であり、文献学者であり、言語学者であり、医師でもあるという大谷翔平やレオナルド・ダ・ヴィンチ顔負けのマルチプレイヤーだったわけですが、その生涯で学んだ知恵を「もののあはれを知る」という平安時代から日本に根付く言葉に集約して、これでもかというほど自身の思いを抽象化した象徴として詰め込んだんですね。

小林秀雄は、これらの本居宣長の「もののあはれを知る」を看破し、これはもはや宣長による学問であり、人生を如何に生きるべきかという道であると述べています。その道の中心に「もののあはれ」があると。

段々とよく分からなくなってきましたが、もう少し頑張って説明してみます。

とにもかくにも、人はもののあはれを知る、これ肝要なり

これは宣長の言葉ですが、漢意(からごころ)を越えてもののあはれを知ることが肝要であり、それこそが人を知ることであり、もののあはれを知ることだと説いています。

細かい説明は省きますが、ここでいう漢意とは論理的に理解可能な原理原則を人々は求めてしまうという使われ方をされています。つまり人は無意識にロジックを求めてしまうが、そうではないもののあはれが人生には散りばめられており、それを知ることが人間そのものを知ることにつながり人生を如何に生きるべきかということであると言っているわけですね。

それが「もののあはれを知る」ことだと。

つまり、ビジネスをはじめ我々が生きるのは人間社会ですから、論理だけで生き抜くことはできないぞ、という事を宣長は江戸時代から言っていたわけですね。

これを現代的なテーマにしてみると、アートとサイエンスの共存と言えるのではないかなと思います。

これは有名な山口周さんの作品ですが、この著作からビジネスの世界でもアートとサイエンスという分類が頻繁に行われるようになりました。

NewsPicksでの堀江貴文さんやOWNDAYSの田中修治さんが出演しているトークショーでは、「成功はアート、失敗はサイエンス」といったパンチラインも生まれていましたが、様々な文脈で活用されている二項対立ですよね。

何故、「もののあはれを知る」がアートとサイエンスなのかと因数分解してみると、「もののあはれ」とは日常に潜む感嘆の発露であり、科学できない人間の心そのものとみることができます。たぶん。少なくとも自分はそう思っています。

一方で現代まで人類をここまで進歩させたのは科学であり、これは答えのある世界です。そこに「知る」という言葉が掛かってくるのだと、自分は理解しています。

「アートをサイエンスする」とまで言ってしまうと語弊があるようにも感じますけど、もののあはれを知るということと現代におけるアートとサイエンスという文脈に対してそういう解釈も可能だと思っています。

人間の脳で言えば、芸術を司る右脳があり、論理を司る左脳がありますよね。左脳だけで生きることはできず、右脳だけで生きることも出来ません。

ビジネスというのは基本的にサイエンスの世界ですが、それだけでは社会構造も含めた進化というのは停滞してしまう、だからこそアートが重要であるという考え方が現在一つのトレンドとしてあるように、まさにアートとサイエンスの双方をバランスよく取り入れることが重要であり、「もののあはれを知る」というのはそういうことではないのかな?と思うのです。

ここからは自分自身のキャリアも踏まえて話します。

自分自身これまでの人生の殆どをいわゆるサイエンスの世界で生きてきました。ソフトウェアエンジニアだったのだから当然ですね。一方で、プロダクトビジネスやベンチャー企業に深く携わるようになってくる中で、エンジニアとして単純にプレイヤーとして活動するだけでは見えなかったアートの世界が見えてきます。

例えば、一つのプロダクトビジネスを成功させる、成長させるにおいて重要なのは論理的に効率よく可用性も高い仕組みというのは通説ですが、やってみるとどのような優れたシステムであっても、これが成功するのだと信じる力、そのビジネスを推進しようとするオーナーの熱量や、人を巻き込む力などサイエンスできない力学がうまく機能していました。

そのような定量的には測定できない力もサイエンス同様に重要であり、システムやロジックというのはそれを支える要素の一つにしかすぎず、優れた論理的な戦略もそのような熱量をアクセラレートするための潤滑油でしかないということに次第と気づいていきました。

実際に過去の失敗談としても、エンジニア視点でみて惚れ惚れするようなプロダクトを構築し、メンバー全員が一丸となってひと夏を設計と実装に費やしたような内外に誇れる美しいソフトウェアを作り上げたにも関わらず、ビジネス的には大失敗。という経験が一度と言わず何度かあります。

そこに足りなかったものが何か?と問われたとき、「もののあはれ」という言葉が自分には真っ先の浮かぶのです。

これを現代的に言うのであれば、アート思考が足りなかったといっても良いかもしれません。それが優れたビジネスアイディアなのか、内外を巻き込み続ける熱量だったのか、審美眼だったのかはわかりません。ただ、サイエンスでなかったことは明らかなのです。

何かを成功させようとする時には、人々を熱狂させるエネルギーが外にも内にも必要であり、あのとき自分を含めチームのエンジニア達はプロダクトではなくアーキテクトの美しさやソースコードの美しさに没頭してしまっていて、プロダクトビジネスそのものに関心が向いていなかったのかもしれません。

幸いなことに逆の経験もあります。

アーキテクトとしても、システムとしても、決して美しいとは言えない代物が、万人に楽しんでもらえるようなサービスになったような経験です。巷で流行りのビジョンもミッションもありません。言語化しようと思えば出来たと思います。ただその時は言語化する必要もなく、行動がありました。

自分が手掛けたプロダクトにおいてもそうでした。自分がゼロイチで携わったものではありませんが実際に数千億という大きな成功をおさめているようなプロダクトでも同じですし、今自分が手掛けているヒーコも、小さいながら自律できているのはこのバランス感覚を大切にしてきたところに起因しています。

これらポジティブな経験は、振り返ってみると絶妙なバランスを保っており、再現可能とは到底思えないようなものです。再現可能と思えるということは、そこには可能とする論理があり、サイエンスされているということになりますしね。

極めつけは、写真の世界にいちプレイヤーとしてもマネージャーとしても入ってきたことです。

自分からしてみると、サイエンスの世界からアートの世界へ入ってきたわけですが、そこにはやはり論理的に解釈できない力学が存在しています。

ここは表現の世界と言っても良いかもしれませんが、広告市場やアート市場を中心に写真というメディアは広く活用されており、アートのみに傾倒しているよりもサイエンスすることで成功をおさめた事例も少なくないように思えます。

右脳と左脳の天秤をはかること。もののあはれを知ること。これが自分が信じることで、人生のテーマでもあります。というのは、自分もそれが実現できているとは到底言えず、日々失敗を繰り返しながら学んでいるからなのですが。

自分はなんだかんだとこの国が好きなので、日本固有のこの概念を大切にしていきながら、経営や写真やマーケティングやプロダクトビジネスやプロフェッショナルサービスに活かしていきたいなと、常々考えています。


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Akiomi Kuroda / 黒田 明臣
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