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フィギュアスケートは芸術を競うスポーツだと考えた時、何故涙が流れるのか分かった気がする。

この3年間、フィギュアスケート熱はだいぶ冷めていて。10年ちょっと前にその魅力を教えてもらってから、浅田真央とキム・ヨナ時代に突入して、知人のビデオでヤグディン、プルシェンコ、ミシェル・クワン、スルツカヤなど今では伝説となってしまったようなスターたちの生き様と人生を凝縮した数分間にひどく没頭したものだった。

2011年には東京で開催される予定だった世界選手権のチケットが抽選にあたってひどく喜んだものの、震災があり開催地が急遽変更。チケットは紙切れと化したのも記憶に新しい。

羽生君と宇野君が金銀獲得で、羽生君にいたってはオリンピック連覇という快挙。日本国内ではおそらくいまが男子シングル絶頂期。かつての伊藤みどりがそうであったように、これを機に10数年後には新しい時代が来るのだろうと思う。

何故フィギュアスケートが好きなのか?

青年期までは、見たこともなければ、そもそも氷の上で走り回って何が楽しいのかわからなかった。わざわざ重りをつけて走っているようなもので、そんなことよりピュアにスポーツらしく数字を競ったらいいじゃん。という考え。男はカールルイスに燃えるんだ!とかそういうよくわからない感覚。

初めてフィギュアスケートの試合をみたとき、オレはその考えを恥じることになる。

フィギュアスケートを教えてくれた当時の知人は、フィギュアスケートが素晴らしいのは、芸術とスポーツの融合だからと言っていた。はじめてキム・ヨナがジュニア時代に滑ったロクサーヌのタンゴを観て、泣いた。

「そうか、これは芸術を競っているのか」

若者らしく、芸術とは何か?なんて背伸びをしながらぼんやり考えて、文芸に触れていた時期でもあり、この発想は心に刺さった。痛いほど。オレはほんとうにどうしようもないアホだったなと。本来競争しようのない芸術を競っている。なんて素晴らしい競技なんだろうかと価値観は一変して、それからフィギュアスケートに限らず、ペア、アイスダンス、新体操、シンクロなど、貪るように観続けた。

当時はいまとルールも異なり、優劣を決めるにあたり芸術点というのが一つの指標としてあって、ルールとしては不完全だったが、いまよりもその度合いは強かったように思う。

さいきんのフィギュア事情には疎いので、時を戻してソチオリンピックの浅田真央について話をしたい。以降は、2014年の2月25日に、黒田がブログに書いていた記事をセルフで引用。

以下。

オリンピックという祭典には、何か言葉でははかれない本能に問いかけるかのような魅力がある。これに気付いたのは、歳を重ね、人生の厳しさ、現実と理想を隔てる壁に何度もぶつかって、挫折して、諦めて、届かず、いつしか届かなかったことも忘れていった、そんな頃だった。

ごくごく一般的な日々を積み重ねてからだった。オレのような、理想だけはみても決してそれに届くことのないような人間には眩しすぎる。なさねばならぬとわかってはいても、つい目の前にある楽に身を委ねてしまうような日々を過ごしている一方で、オリンピックで頂点を目指すという夢に向かって、決して諦めなかった彼らを眺めてみると、それだけで、胸があつくなる。

日に何十時間の練習を日常とし、生活のすべてを、勝利のために費やしてきた人々がいる。諦めなかった人々がいる。その事実がどれだけ、人間の希望かという視点であらためて考えてみると、勇気がわいてくる。

オレはフィギュアスケート以外に興味はないんだけど、この祭典を目指すアマチュアアスリートの精神力は人類が辿り着ける境地の一つではないかと、思っていて、そこにひどく心揺さぶられる。

個人競技に至っては、金メダルを獲得できるのは一人。同世代にどんな怪物がいようとも国の威信を背負って全力を尽くさねばならないという圧力。それに負けなかった人だけが、あの舞台に立てる。

その一人である、浅田真央が、フィギュアスケート人生の集大成としてみせた、バンクーバーの演技には、誰もが感動しその努力と、これまで彼女が背負ってきた苦悩を感じられる人であればあるほど、伝わってくるものがあったんじゃないかなあ。オレも言葉が出なかったよ

日本ではフィギュアスケートファンにすら叩かれていることも多い、キムヨナだけど、オレは彼女の演技が、本当に好きで何度涙したかもわからない。日本国内の大会で出る際は足を運んだし、世界選手権は震災のために、残念ながら延期になってしまったけども、大げさではなく、キムヨナの演技を生で観れる。この時代に生まれていたことに感謝している。

そのライバルとして、10年以上競い合ってきた浅田真央。はじめて生で演技をみたとき、彼女の美しさに圧倒されたのを覚えている。キムヨナのライバルは確かに彼女しかいなかった時代だった。

しかし、キムヨナがバンクーバーオリンピックで金メダルを獲得してからの浅田真央は浮き沈みが激しく、コンディションが整うのも毎年シーズン終盤で、ロシア選手の台頭もあり、正直ソチオリンピックでは期待をしていなかった人間もおおかったんじゃないかなあ。

オレもそうだった。願ってはいても、心のどこかで、また失敗してしまうのでは?という不安が拭えなかった。

フィギュアスケートほど、失敗という事が一般的である競技を他に知らない。

前オリンピックとうってかわって、今季は男子もまた4回転時代に戻り、誰もが当たり前のように飛んではいるが、4回転ジャンプというのは、本来人間が飛べないジャンプだという話を聞いたことがある。

飛んじゃいけないんです。だから飛んでいるってことは、無理をしているんです。そうして、身体のあちこちに異常をきたし、馬用の麻酔をうって出場したり、股関節を人口で入れ替えたりする。それでも、そういう可能性があっても、彼らは飛んでいる。

浅田真央のトリプルアクセルだって、きっとそうなんですよ。できるはずがないことをやっている。だから、若い時と違って、ある種失敗して当然なんです。10代の頃はわりと無理がきくのか、安藤美姫が4回転を飛んだように、飛べたりするんですが、女性は身体が完成してくる20代にさしかかると、途端できなくなったりする。研鑽を重ねて辿り着ける境地とは限らないってことです。でも彼女は諦めない。

容姿のせいか知らないけども、おおくの人が、彼女を、かわいい弱い存在として眺め、そして失敗したりすると、重圧が大変だったんだとか、一人で期待を背負ってとか、かわいそうに思ったりする。

でもオレはそうは思わない。

彼女は、強い。

亡くなられた母親が言っていたように、きっと頑固な人なんだと思う。もちろん国民の期待、重圧、並外れた圧力はあっただろうが彼女は、それを受け止めて、応えようとする、そのために誰よりも練習をして、すべてを捧げるかのような強さがあったに違いない。

涙を流さないことが強さとは限らない。流した涙を力に変える強さもある。

いったい何度、競技中、彼女の頭の中に母親がよぎっただろうか、そのたびに、彼女を震えたたせただろう、そのために、彼女は滑っただろう。

フィギュアスケートという競技の特殊性を考えれば、たとえひいきの選手がいようとも誰もが美しく、誰もが輝いており、勝敗とは別のところで誰もが人の心にひびくだけの演技をすることだってある。メダルに届かなくたって、観ている我々に届けられるモノがある。天国にだって届くものがある。

彼女は、彼女にしかできない方法で、それを証明してくれた。

ためのない美しいジャンプ、課題だったスピード、いつも以上に磨きのかかったステップ、持久力、彼女の演技に涙した人々は、演技そのものの完成度だけが理由ではないんじゃないかなあ。きっとみんな心の底でこう思っていたんだと思うね。

これまで彼女が失敗したりするたび、きっと自分自身を許せなかったんじゃないか。失敗してしまった事で、誰かの気持ちを裏切ってしまったのではないかと、自分自身を許せなかったんじゃないか

そして誰もが、そんなことはないと言いたかった。でもそれには、彼女自身が、自身を認めてあげないことには仕方ない。頑固な人だ、でなければ納得しないだろう。人の意見に甘えたりはきっとしない。

彼女の力で、成し遂げて、そうして解放されてほしい。

オレは心の奥底でそう思っていたんだということに初めて気付いた。終わってみれば、競技としてこの結果は、理想的なモノではなかったかもしれないが、彼女は自分自身への戒めから解放されたのではないかという気がしている。

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