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行動なくして成果なし!写真でも文字でもアウトプットが大切という話。

こんばんは、翼をなくしたアリンコ、黒田明臣 @crypingraphy です。

note をはじめて二ヶ月半、購読マガジンをはじめて一ヶ月半。おかげさまで定期購読のメンバーが160名近くになりました。ありがとうございます。note を書いていてその効能があらためて浮き上がってきたので、アウトプットの大切さについて書いてみようと思います。

端的にまとめてしまえば、アウトプットは大切!以上。で、本日の番組は終了ですとなってしまうのですが、それも切なさマックスなのでちょっと肉付けをしたいと思います。

行動なくして成果なし。

先日ちょっとツイッターという青い鳥にまたがりながらさらっと呟いたんですけど、行動なくして成果なし、オレはそういうふうに考えています。

気になるモデルがいるなら声をかけるアクションをとれば良い。

撮りたい写真があるなら撮れるようにアクションをとれば良い。

認知されたいなら認知されるようにアクションをとれば良い。

リスペクトされたいならされるように挑戦というアクションをとれば良い。

我々フォトグラファーからしてみると、アクションの殆どを占めるのはアウトプットになるわけで、やっぱり撮った写真を出していくというのが一番。

例えばものすごく極端な例ですけど、世界一素晴らしい写真を撮っていてもSNSに限らず何処にも発表しなければそれは知られることがないわけです。それでも良いって人はそれで何も言わないでしょうけど、自分の写真でもなんでも、作品を通じて人から認知やリスペクトを獲得しようとするならばアウトプットというのは避けて通れない道。

そのアウトプットが、展示なのかSNSなのかウェブサイトなのか、仕事なのかメディアなのかとかは、アウトプットするかしないかに比べたら大した問題ではないというのがオレの考えです。

欲望にたいして素直に行動する。

適切なアクションを起こすためには、自分が何を欲しているのか欲望を知ることが大切なんじゃないかな。例えば、周りでよく聞く会話だとこういうのがあります。

SNSで全然評価されない。

いいねの数がつかないとかそういう話だと思うんですが、オレもそんなにいいねされる方じゃないんですが、殆ど気にしたことはありません。ネタにしてることはあるけど、少なくともいいねのために自分の何かを変えるということはありえません。

ただ、SNSで全然評価されないという課題に対して、どういうアクションをとるにしても、やっぱりそれはアウトプットでないと改善はしないんですよね。

・SNSで評価されるように、写真やテキストや投稿方法を改善する。
・実績をつくるために雑誌に写真を持ち込んだりコンテストに挑戦する。
・ストイックに自分の作品を制作し続けて展示などで発表する。

何でも良いと思いますけど、評価が欲しいという欲望に対して素直になって、そのための行動をとらなければ、ただの愚痴です。愚痴はかっこわるい。

写真業界の中にはSNSを軽蔑する人もいますけど、評価や認知がほしいと思いながら活用せずにその他のアクションも何も取ってないようであればそれはSNSをいくら低くみていても、愚痴でしかないので、非常にかっこわるいです。

SNS使わないにしても、何か行動していないと、何を言っても虚しいだけなので、自分の欲望を認識してそれに見合う努力をするべきだと思います。

書くことでかたまっていくスタンス。

欲望に対して素直に行動するというのは、目標の実現というわかりやすいスキームですが、アウトプットの良いところは、他にもあります。例えば note にこうやってテキストを書いていくことにも利点があります。自分でも改めて認識しているポイントですが、書くことで自分のスタンスがかたまっていくわけです。

程度の多寡はあれ、文章という論理的な構造にまとめていくなかで自分自身はどういうスタンスか、何を尊び何を捨てているのか、色々なことが整理されて、もやもやと考えていたことが言語化できるようになったり、形になっていく。

これはすごく大切なことで、自分が何者なのかきちんと把握できるわけです。フォトグラファーならフォトグラファーとして、アーティストならアーティストとして、クリエイターならクリエイターとして、自分は何者なのか説明できるかどうかというのは、大切なプラスアルファになるんじゃないでしょか。

こう書いている今でさえ、自分の中で色々な記憶や事件、結果を思い返しながら頭のなかで自分のスタンスがかたまっていくのを感じます。

良いものを作っていれば見つけてもらえるという危険性

写真に限らず、何かしらの作品をつくる人たちの望みの多くは、認めてもらうことだったり、作品が売れることだったり、制作活動と仕事をつなげることだったり、色々あると思うんですけど、まあその取っ掛かりはできるだけ多くの人に認知してもらうということになるでしょう。

その点において、良いものを作っていれば誰かが見つけてくれるだろうという考えを貫いている人も少なくないように感じてます。

まあ、すごくわかりますよ。理想は、黙々と作品をつくって無言でポンっと何処かに発表して、大々的にフィーチャーされて誰かに見出してもらうみたいなスウィートなシンデレラストーリーだとどんなに良いことか。

そしてそういう人も世の中には少なからず存在していますからね、その道を否定するつもりはありません。

でもそういう茨の道を望むのであれば、そのあまりにも美しすぎるストイックな価値観を汚すような愚痴はNGです。それを一言でもこぼしたり匂わせてしまったら、素晴らしき職人観から一気に負け犬の遠吠え、単なる努力不足に堕落してしまう、アウト、一発退場。

そして、その価値観を貫き通して自分が望むステージにたどりつける人はおそらく10万人に一人か、それ以上に厳しいでしょう。危険です。デンジャー。

ほんとうに自分が良いものを作っていて、その作品によって誰かをハッピーに出来ると思うのであれば、泥水をすすってプライドを捨てたような思いをしても失敗しても、できるだけ多くの人に届けられるような努力をするという発想が大切だとオレは思います。

まあ、と言っても自分はそんな自信もないので、やんわり種まきをする程度の気持ちでSNS含め色々な挑戦をしていますけど、それも何もしなければ何にもならないという危機感があるからです。

撮ることで見えてくる自分。

文字を書くことで自分が見えてくるということを書きましたが、広義にアウトプットを行うことで、かたまってくるというのはテキストに限りません。

写真でも、一つのテーマに沿って撮り続けることで、それが生涯の作品やシリーズになったりということもありえます。例えばオレは定点観測的な作品として自宅でのポートレートを撮り続けているのですが、これは制限された同じ空間の中、いかにバリエーションや刻々と変わる天気や光を相手に撮り続けることができるかという習作的な意味合いが強い試みでした。

しかしそれが今では、ライフワークのようなモノとなり、自分が何故ポートレートを撮っているのか、自分がポートレートに何を求めているのか、自分は何がみたいのか、自分は何が撮りたいのかといった色々なことを知るためのきっかけとなりました。この取り組みによってフォトグラファーとしての自分がより明確になったといえます。

大げさではなく、撮らなければ見えてこないものはあると思います。頭でっかちになってしまっても仕方ない。理屈ばっかり並べてもフォトグラファーは机上の空論を求めているわけではありません。撮らなきゃはじまらないし、理想のためには撮るだけでもいけない。

得てして理屈と感情は異なる。

色々書きましたが、アウトプットが大切なんていうことは、みんなわかりきっていると思うんですよね。今更言うまでもないというか。少なくとも理屈ではわかっているんじゃないかな。

ただ、それを明確な意志をもって実行にうつして、継続できているかどれだけいるかということを考えると、それはあまり多くないというのが実感。

そうして人は移り変わっていくと思うんですけど、消えていかないためにはやっぱりアウトプットを継続するというのが大切なのは言うまでもないでしょう。

理屈ではわかっているけど、気持ちが動かない。そんなのはアタリマエのことで、その気持ちをいかに鼓舞して情熱を日常とし、継続していけるかということに真面目に取り組む必要があると思います。(というか自分に言い聞かせている笑)

テープを作って路上ライブに勤しみながら誰かに見出してもらうのも待つアーティストも、いまではYouTubeやニコニコ動画、その他様々な手段で認知してもらう手段が用意されていて、絵かきもフォトグラファーもイラストレーターもデザイナーもライターも何でも、クリエイションを取り巻くフィールドはそれをサポートしてくれるプラットフォームやサービスでいっぱいなので、効率的に利用していきたいものです。

以降は、編集後記的なモノと、さいきんの仕事、どうでも良い黒田の日常的な内容で構成されています。興味のある方はマガジン購読でも〜。

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