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フリーランス生活10年でわかったこと。

これまで、一般企業に就職した経験がありません。
社会人としてデビューしたのは、当時流行の一円起業で。
いまは会社法が変わったので特に珍しい話ではないのかもしれないですが、21歳の時でした。

あ、ちなみにタイトルは関係のない昔話がここから大半続きます。

昔々あるところに

最初はウェブのディレクターとして、独学で覚えたHTMLやCSSを頼りにとにかく片っ端から技術書や専門書を読んで、経営から税務から営業まで細々とですが何でもやっていました。出資者二名と代表と自分がメインで後は外注という四人による超零細企業だったので、役員という立場ながら恐るべき何でも屋だったんですが、そこから紆余曲折あり、二年半ほどの時を経て、その会社から離れてフリーランスとして独立します。23~24歳だったと思います。

独立当初は、前社の引き継ぎ案件を受託で請けつつ良い機会だったので運転免許をとったり、仕事の幅を広げるために勉強したりしていました。
勉強というのも、最初の零細役員時代に、いわゆるウェブコーダーと零細企業におけるウェブディレクターというキャリアでは今後難しいだろうと感じていた部分もあり、プログラミング言語を独学で覚えはじめていて。当時の代表からHTMLは一週間で覚えられてPHPなら一ヶ月で出来ると言われていたので、何故かそれを信じて覚えました。本を数冊読んだかな。
(前回の記事で書いた入院時期なんかもあったので、入院時に集中的に覚えたのを記憶しています。)

プログラムについては、簡単な改修程度はついでで担当したこともあったのですが、一度スクラッチでシステムを作った経験がないと駄目だろうなという思いもあって、余暇でポイント管理システムや会員管理システム、案件情報管理システムなんかを誰に頼まれるわけでもなく作っては試行錯誤する日々。けっきょく最終的にそれを売ることもできて、独立してからもそれなりに順調にやっていました。

しかしいま思えば仕事が順調ということよりも試行錯誤してただ作ることが楽しかった。時間も充分にあったので、興味のなかった物理について調べ続けたり読書をしたり、映画三昧だったり、美術館をめぐったり。殆ど覚えていないことばかりですが当時のインプットは今でも生きていると感じますね。

とくに、インプットをしたり興味のあることを学ぶという姿勢は今でも生きています。

継続的案件の獲得へ

そして一年に満たない程度、それなりに受託でやっている中のご縁でお誘いいただいて、フリーランスのエンジニアとして企業に出向しはじめます。

これは安定した収入を得るために、企業に出向して普通の会社員のように働く感じです。いまはデスマーチの温床になる懸念などもあり規制が強化されているので少なくなりましたが、当時はこれが一般的でした。

24-25歳だったかな。ここからはもう中小から大企業までいくつか行きました。常駐することもあれば、スポット的にアドバイスに行ったり進行管理だけやったり。全てはもはや思い出せません。就職したことはないのですが、逆に色々な会社の仕組みや体質なんかは10年間見ることができたというのはあるかもしれません。

短い間の受託期間でしたが、比べると長期契約や複数の契約を並行してやっていたので、10年近く随分精神的に収入的にも随分と安定した生活だったと思います。フリーランスなので、色々未来への不安やそれに対する対策は必要でしたが。

とにかく時間を持て余していて、システム関連の専門書を読み漁ったり英語の勉強をしたり、料理を覚えたりというかんじ。会社員とくらべて時間に余裕があったという点はフリーランスの良いところだった。おもしろいことを探して毎日飲み歩いていました。

それが突然、31歳の時に持っていたカメラで写真に没頭しはじめて、これまで手を出した何よりも面白かった。今となっては必死で覚えたエンジニアリングのスキルの向上を半ば捨てつつ、写真に力を入れています。これは徐々に加熱していってもはや3年が経ちました。

本題です。

こうして振り返って思うのは、当たり前の事なんですけど、「これまでの人生すべてが繋がっているな」ということ。

例えばフリーランスでこれまでずっとやってきた経験は、写真を仕事にするにあたっても存分に生きていて、何の支障にもならなかった。
しかも今では、Money ForwardやFreeeといったサービスもあり、金銭管理も簡単。自分もそこまで詳しいわけではないですが、最低限は受発注の仕組みやビジネスマナーは把握しているし、NDAや基本契約書や覚書と言われても、特にクエスチョンが出ることなく対応できるし、接待に抵抗もなければ印紙や押印も「ああ、この業界もそれは同じなのか」という感覚で。モデルリリースの必要性も特に疑問はなく、業界専門の知識を除けば基礎知識はあったのでスムーズに入ることができた気がします。

かつてスティーブ・ジョブズが、点が線になるという話をしていましたけど、これは本当にそうで。点を線にできるから大きなアクションを決断できる。

彼ほどのものではないけど、けっきょく点が線になるように人間は生きているんだなと思うんですよ。でもこれってきっと、振り返ってみれば当たり前のことで、自分が獲得した経験を生かして自分の未来をつくっていっているんだなあと。

そして会社員ではないフリーランスとして生きていく人間というのは、自分の持ち物を繋げていけるかどうかというのが、より大切になってくるんじゃないかなと、ふと思ったのです。

毎月きちんと収入を得てキャリアを作っていけるという保証はなく、自分次第だけども、自分の適正や経験に合わせて未来を作っていけることが一番の強み。(まあ会社員に保証があるとは思ってないんですけど、比較して。)

それにフリーランスだって、毎月安定した収入を得るように動くことも出来ます。全てが自由。自分の持ち物次第。自分という価値をいかに高めるかというだけで、そのサバイバル能力は、一つの組織でしか成り立たないものとは違うわけです。どこでも通用する。

それで、いまインターネットが当たり前の基盤となってSNSの発展によって、個人の評価がビジネスに直結してきていますよね。これはフリーランスでやっている人間にとって強みが一つ増えたと思います。現代の社会や経済の状況を肌身で感じると、もはや個人が何をして何が出来る人なのかということすら大した問題ではなく表層にしか過ぎない感じ。その人を知るための入り口というか。

まあ入り口は大変重要なので、ある程度の露出やネットワークは確実に必要と思うのですが、その露出が誰にでも門戸が開かれている状況。

そういうことを考えてみて、自身を振り返ってみて、改めて自分はフォトグラファー黒田明臣でもなければ、エンジニアの黒田明臣でもなく、単に自分でしかないのだなと思うに至ったのです。

例えば、そう遠くない将来にこのnoteで有料マガジンをはじめようかなとも思っているのですが、それはフォトグラファーとしての自分を生かしつつも、黒田個人として成り立つものにしようと思っています。

その理由は二つあって、一つは写真をやめても自営でいることは変わらないでしょうし、写真が好きなのは変わらないだろうけど、注力しているのは別のことかもしれない。でも一人間としてこういう生き方に興味を持ってくれる方にとって見る価値のある「ナニカ」を共有・発信できる自分でいること。(おそらくほぼ駄文)

もう一つは、単純に写真に関することだけであれば、それはヒーコでやりたいからです。まあそれはそれでもう一年以上も前から企画中なのですが、中々よいソリューションが見つからず停滞しています。あとは単純にリソース不足。従業員の戦闘力があがったら実現したいと思っています。

次回、フリーランスとして働く方向けにそれなりに役立つ記事を書きたいと思うのでそのまえに自己紹介がてら書いてみました。

とりとめのない文章になりましたが、フリーランス生活10年でわかったことは、婚期を逃すということです。


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