私にとってのフォロワー数
フォロワー数についての徒然を書きましたが、そもそも自分にとってのフォロワー数とはという話もあるので書いてみます。
自分の場合のフォロワー数
前回書いてみて、じゃあお前はどうなんだという話になりそうなので、こと自分においてを歴史も含めて書いておこうと思います。結論から言えば自分は現在、フォロワー数はこの数年全く気にしていません。
それこそ写真をはじめた2014年とかその頃は、1億フォロワーくらい欲しいとか思ってましたし、増えるような活動をしていたこともありますけど、当時今くらいのフォロワー数になって、自分にはあまり相性の良くない指標だなということがはっきりしました。なので実際それ以降びっくりするくらい増えてもいません。
自分の場合は単純に、あくまで力試しというか、ゼロから全く何の教養もない状態で写真をはじめて世の中に通用するかどうか、受け入れられるものかどうかという事が知りたかったんですよね。
もちろん多ければ良いなとは今でも思うんですけど、増やす為の活動ということは、むしろしたくないというのが本音です。そういう活動を否定しているわけではなく、あくまで自分の相性の話です。例えばランニング好きな人もいればそれが苦行に思う人もいると思うんですけど、そういう違いだと思ってください。
できるだけ客観的に自分を見た時に、周りにはSNSで活躍しているフォトグラファーの方もいれば、SNSやってすらいないけど長年第一線で活躍されているフォトグラファーの方もいて。
前者の方からみると大したことのないフォロワー数で、後者の方からみると、それなりに多いフォロワー数なので、どっちの場で話すかによって大分立場も異ならざるを得ないんですけど、それは良くも悪くも中途半端に中間の存在としていちフォトグラファーとして位置しているから何だと思います。それなりに商業もやるし、それなりにSNSもやってるので。
写真を趣味としてはじめてから仕事にして、今ではビジネスサイドに回っているまでの間、仕事としての写真も純粋にフォトグラファーとしてSNSやっていた部分も両面あるので仕方ないところです。
テストシュートをしてはSNSに投稿して、海外のコンペティションに応募をしてアマチュアとしてはではありますがいくつかの賞をいただいたり、国内のコンテストに応募してみたり、浅岡省一さんに鼓舞されて東京カメラ部の10選に挑んでみて選出していただいて更にそこから展示をさせてもらったり、どうにか自分が認められないかという道を模索していた事もありました。
ただいずれもフォロワー数というところではあんまり気にしていなかったです。おそらく共感を得たかったのではなく、自分が何かを選ぶ側の人たちに認められたいという思いがあったんだろうと思います。
おそらく、ゼロからはじめて独学で覚えた技術ではあるものの、自分の写真が世の中に、少しかしこまって言えば市場に受け入れられるものかどうかという事が気になっていてその答え合わせをしたかったんですよね。
それもあって、自分の名前は一切出さずに制作会社としてホームページを作って自分の写真をポートフォリオに仕事が来るかどうかをある時期から試しはじめました。
SNSから来る仕事もありますが、売上の構成で言うと遥かにこの自分の名前のない仕事のほうが多かったです。
稀に他の人にお願いすることもありましたが、2年ほど殆ど自分一人でそこで事業として行って、数千万くらいの売上となったときにある程度世の中から認められているかもしれないという実感を得ることが出来るようになって、そこで自分の中での答え合わせが終わったんだと思います。
ある程度世の中の役に立てる写真を撮ることができているとわかった時点で、その中で高みを目指していくほどの根性はなかったと言っても良いかもしれません。なので、フルタイムでフォトグラファーとして活動している人には尊敬の念しかありません。
それからむしろ自分でも対応できるような案件でもできるだけ他の人にお願いすることが増えました。
明確にいつというのはないですが、自分個人がフォトグラファーとして名を成すということにはあまり関心が少なくなりました。ゼロではないですよ。とはいえ、すごく減りました。
それに伴って、SNSのフォロワー数についても関心がなくなりました。やっぱり答え合わせがしたかっただけなんだなということがわかったからです。
仕事としては、やっぱりソフトウェアエンジニアとして活動していた方が好きだったし、写真は大好きだけどそれを仕事にしたいかどうかは別なんですよね。フォトグラファーとしてフルタイムで働いている人に対するリスペクトもあって、自分ではないな、と。
アートとエンターテイメント
これは余談で、どちらかというと前回の記事に関連する内容ですけど、写真家をはじめ多くのアーティストというのは、如何に自分が人と違うかということに価値が置かれる側面があると思います。コンテポラリーの世界で人と同じことを行って評価されている人はいないんじゃないですかね。それは歴史的経緯も踏まえて長らくその世界を見てきた人たちによって評価される場だからです。
SNSの世界では、そういった歴史的教養とか高尚なことは関係なく、古典的なストーリーが何度でも繰り返し人々を楽しませるのと同じように、エンターテイメントとして成り立っていれば評価されることに変わりがなく、そこに決定的な違いがあると思います。
写真展なんかに訪れてみると、その人が写真をどのように捉えているかというのがよくわかります。
例えば、以前友人の武井さんがやっているカーボンという会社が渋谷西武で大規模な写真展を行っていたのですが、そこでコハラタケルさんが他の方とは異なる手法で展示をしていて印象に残りました。
あ、ここからは偏見の度合いが強くなりそうなので、購読者パートにします。
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